認知症とともに(1) 徘徊の祖母見て福祉の道 進む高齢化、増す生活課題
認知症になって住み慣れた自宅を離れ、介護施設へ入所することになった本人さんの気持ちはどのようなものでしょう?
私の祖母が認知症になったのは、私が高卒で受験勉強をしていた時です。当時の私は、朝3時頃に玄関を開けて出ていこうとする祖母の行動を全く理解できませんでした。「ご近所さんが呼んでいる」と外出しようとする祖母に「声なんて聞こえないだろ!」と、暗がりの玄関で引き留めたことを思い出します。
「痴呆症(現:認知症)」と診断名を聞いたのは父からでした。「俺が死んだと助手席で言い始めた。もうダメだと思って老人病院に預けてきた」と、気晴らしにドライブに連れ出した父が一人で帰宅しました。祖母は老人病院内でも徘徊を続けたそうです。面会に行った時には、徘徊を抑える薬を使い、ベッドの上でまともな返事は出来ませんでした。
振り返ってみると、徘徊が始まる1年前から祖母の行動はおかしくなっていました。晩御飯と呼んでも部屋から出てこない。お風呂も入らない。家族と些細なことで口論になり、気の強い祖母が泣き出し布団にもぐったままでした。
当時、家族に認知症という病気の認識があれば、受診を勧めることや違う関わり方もあったのでは? と考えたのが、私がこの仕事に取り組むきっかけでした。
少子高齢化社会が進み、京都市では、2015年に1人の高齢者を5.6人で支えていますが、25年後の2040年には3.3人で一人の高齢者を支える社会を見込んでいます。
認知症高齢者を取り巻く生活課題は、現在よりも近い将来に大きくなると言われています。
高齢サポート・大原では、八瀬小学校や京都大原学院(中学生)向けの「認知症サポーター養成講座」の開催に取り組んでいます。また、昨年初めて上高野学区で道に迷う高齢者に声をかける訓練を地域役員さんと取り組みましたので、次回ご紹介します。
認知症とともには、3回にわたって高齢・サポート大原の認知症への取り組みを掲載しました。
認知症とともに(2) 小中学生サポーターも続々 大原と八瀬で養成講座定着
認知症とともに(3) 徘徊高齢者救う「声かけ」 訓練が地域づくりにも一役